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花井幸子(はないゆきこ)1964年ファッションデザイナーとしてアトリエを設立。「YUKIKO HANAI」を始めとしてブランドを多数発表し展開。生活のすべてがデザインの場であるとの考えから、きもの、宝飾品、食器、ユニホームなど数多くのライセンス商品を持ち幅広く活躍する。女性の立場からクリエイトするフェミニンでエレガントな服を発表し続けている。
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「ファッションというものは、大人のものよ」
開口一番、花井さんはこう語った。少々断定的ともいえるこの言葉には、それなりの理由があった。日本では、ファッションといえば流行の先端を意味する。流行を追い求めるのは、若者。日本のファッションは若者が中心であり、業界のターゲットも若者にあることは否めない。
それは、近年のブランド・ブームを見れば一目瞭然。海外の有名ブランド各社は、若い女性向けに新しいデザインを発信する。それも日本限定とか、オリジナルとか、ブランドを求める女性達の気持ちを見透かしているようだ。ブランドとはそんなものなのだろうか?
日本におけるブランドのアクセサリー化をふまえての、そんな花井さんの言葉だったのだ。
「身につけるものというのは、成長しながら選ばれて行くものだと思いますね。人生の経験によって変化していくものなのではないかしら。ブランドというものは、女性が成長していく上での目標であってほしい。時代がどう変化しようとも、そんな精神構造であってほしいと私は思っているの。ブランドをそんな風に取り込めたら、格好良い大人の女になれるのではないかしら」
現在の経済状況から考えて、ブランドも、より高い売上を目指すために、世代別の戦略をしていこうという姿勢なのだろう。今の状態を見ていると、身に付ける人とブランドとの間には落差があって、やけにブランドばかりが目立ってしまっている。一人歩きしているようなその姿は決して格好良いものではなく、かえって滑稽にさえ感じる。花井さんの言葉のように、持つべき人が持ってこそ、ブランドの価値があるのだ。
ファッションデザイナーとして走り始めた頃、花井さんは、毎年ファッションの本場であるフランス・パリを訪れた。そこで、ファッションの意味を体感したのである。花井さんの目を惹いたのは、ごく普通の人達の格好良さであったという。
「パリの街を闊歩している女性達は、どの人も素敵でした。スカーフや帽子、バッグ、靴など、頭のてっぺんからつま先まで装い方が素敵でした。まさに、洗練されたファッションを感じたわけですが、よく観察していると、特別な物を身につけているのではないお洒落が上手でした。自分にあったカラーというものをしっかり自覚してるのね。上手に自分らしいスタイルを持っていたのです。これが、その時感じたモードということなのだと思います」
ファッションは、ただ表面だけを覆うだけのものではない。その人の生き方そのものを表すもの。パリで闊歩する女性達は自信に満ちて、その人自身のオリジナリティを持っている。だから身につけるもの一つ一つがその人の個性を表していた。シックにも、カジュアルにも、不安のない装いを感じたというのである。それこそが、モードであった。
「ファッションを流行と言い切るならば、モードは文化。伝えられるべき時代の装いの文化。私自身、何気なく歩いて行くパリの女性達のように装いたいと思いました」
モードが身につく大人の女性になるにはどうすれば良いのか。体の一部のように、装いが似合う女性にならなければならないのである。それには、自分を磨くことに尽きる。装って化けるのではなく、そのものに成長する事。パリの街を自信に満ちて歩く彼女達には、素晴らしい洋服文化の環境がある。その一方で、私達の洋服に対する意識はまだまだ浅い。特に、若さが絶対であるという、今風の意識では、モードが育つ環境ではないようだ。そうであるならば、我々日本人の女性達にとってのモードは生まれないのか、とため息がでる。
いやそんなことはないはずだ。
身をもって生き方を提案する花井さんのスタイルには、格好良い大人になるための大切なキーワードが隠されている。
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藍柿あやめ図皿
径18.5cm
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十二代楽弘入
(らくこうにゅう)
木の葉皿
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黒田泰蔵
(くろだたいぞう)
白磁湯呑み・鉢 |
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北大路魯山人
(きたおおじろさんじん)
湯呑み
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総蛸唐草喰籠(そうたこからくさもんじきろう)
径33.5cm 高37cm
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「若い頃は、徹底的に西洋崇拝でしたね。私の青春時代である1950年代は、欧米文化が怒涛のように入ってきた時代。お洒落のお手本はスクリーンの女優達でした。そのファッションに憧れて、スカートの丈を決め、ラインやフォルムのまねをして、自分で洋服を作ったくらいでした。ところが、現実はといえば、鼻も低いし、背丈もないし、今更西洋人にはなれない。そんな思いの辻褄を合わせながら、洋服を着ていたようなところがありました。私がファッションデザイナーの道を選んだのも、そんな状況の中で私自身が着たいと思う洋服が見つからなかったからなのです。それが30代になると、自分が日本人だということを受け入れるようにになってきました。難しく言えば、自分のアイディンティティーが見つけられたということでしょうか」
そのきっかけの一つが、骨董との出会いだったという。面白さを教えてくれたのは、親しい友人だった。
「食事に招かれて友人の家へ行くと、何気ない料理が染付の器に盛り込まれて登場しました。私も欲しいと思いましたねえ。そして、こんな風にお料理を楽しみたいと思いました。私にとっての骨董の始まりが、他の人と違う点があるとするならば、使う骨董であったということでしょうね。その時友人に教えられたのは、闇雲に骨董の知識をむさぼらないということでした。彼曰く『好きということが何よりも大切』。この最初の教えは、その後の私の骨董に対する見方において、とても良かったと思っています。何よりも『私が好き』という感性を大切にすることで、美しいものに対する感じ方を養う事が出来たと思うからです。好きと同じ位、『嫌い』と言う感情があるということ知るって、大事なことですよ」
最初の一歩は、蛸唐草の染付の器だった。その当時の花井さんには、好きなものの条件が幾つかあった。それは、染付け独特なコバルトブルーの美しさのあるもの、紋様(デザイン)の面白さ、たっぷりとした大きさなどであった。
「全面に蛸唐草が施された、高さが37cmもある喰籠(じきろう)に惚れ込んでしまって、思わず買ってしまったことがあります。大きいという存在感は、どんな場合においても主役となり、おもてなしには欠かすことができない存在でしたから」
その喰籠を見ていたら、ギリシア神話に出てくる『パンドラの箱(壺)』を思い出してしまったと、花井さんはいう。そのときの思い出を、後々エッセイに書いている。
……(パンドラの壺を開けたら)立ち昇る煙とともに飛び散ったものは、(中略)この世におけるあらゆる『悪』だった(中略)かろうじて壺に残されたものは、『希望』だけだったというのである。(中略)確かに口紅一本を買うようには、骨董品は買えない。
でも、心に決めていた。目の前に現れた壺。紛れもない蛸唐草。パンドラの壺であった。この壺、幸いにも封印はされていなかった。……
しかし、思わず買ってしまって、その大きさに戸惑う事もあった。それ以来、『いくらですか』と聞くと同時に、『どのくらいの大きさで、どのくらいの重さなのか』を確認する事!と、ご主人から念を押されたという。
「骨董を使っていると、面白い発見があるんですよ。何百年か経っている器を見ると、実に斬新なデザインの図案が描かれているものが多いことに気が付きます。古い時代に作られているものだから、古臭い感覚のものだと思い込んでしまいますよね。でもそれは、先入観というもの。植物や動物や昆虫などが省略されて描かれた絵柄は、完璧なデザインと言えます。昔の職人達の発想の見事さには脱帽です」
そして、骨董の器の裏側には、暗号が隠されているとも語った。器を作った窯の印や、裏側なりの絵柄が施されている。
「こんな部分にまでと思うほど、気を抜くことなく描かれているのを見ると、裏もまた表なのだと知り、骨董を普段の生活で使うことで、多くの知識を得る結果となりました」
骨董を介して新しい人間関係が生まれると同時に、世界が広がって行った。そのために、話術や物腰に気を配るようになる。そのことがとても大切なのだとも、花井さんはつけ加えた。
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染付葡萄文丸皿
(そめつけぶどうもんまるざら)
径18cm
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伊万里染付蛸唐草文膾皿
(いまりそめつけ
たこからくさもんざら)
径15cm 裏
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伊万里染付蛸唐草文膾皿
(いまりそめつけ
たこからくさもんざら)
径15cm 表
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骨董を知ることから始まった花井さんの好奇心は、ますます膨らみ、その結果日本の装いの根本である「きもの」の世界へ辿り着いた。自分が着たいきもの、つまり、現代の暮らしに合うきものを提案しようというものだった。
きものを手がけることで、隠された美しさを知るようになる。襦袢や帯揚げ、半襟、きものの裏地などのお洒落である。誰に見せるわけでもない部分に、心配りをするという日本的な感覚のお洒落であった。この美意識は、長い時間をかけて生れてきたものである。花井さんの根底に、これこそが日本人にしかないモードそのものであるという思いが流れていたのかもしれない。
「きもののデザインをすることで、きものの歴史を紐解くことになる。そうなると、避けては通れないこととして、お茶の文化がありました。そのために、お茶の教えを乞いました。すると、お茶の考えが私達の日々の営みの精神となっていることが分かってきます。日本人の感性を司っているものといえるでしょう。そうするとね、好みがどんどん変わってくる。何か削ぎ落とされるように、単純化されて来ました。骨董の器などで言えば、画面いっぱい施されていた蛸唐草や花唐草の染付けよりも、余白の多いシンプルな古染付けを好むようになり、ひいては骨董ばかりでなく、現代作家にまで興味が広がりました。優れた作家が作る、鋭さのある器も好むようになったのです」
感性が育つほどに、美しさへの追求にも真剣だった。それに従い知識の深さも幅も広がって行ったのである。このことが最も大切だという。
「失敗もありますよ。良いなと思って身近に置いたのに、どうも居心地が悪いということもありました。私の美意識みたいなものが定まらなかったからか、そのもの自体が中途半端だったのかわかりませんが。でも、それも必要です。そんな時ほど、何がイヤなのかがよくわかりますから。何回か繰り返していくうちに、自分なりの美の基準のようなものが完成されてゆくのです。一朝一夕では生れないでしょうね。時間が育てるようなものかしら」
ここに、答えがあるようだ。時間をかけて育った自分なりの美の基準によって、ファッションも生き方も自分のスタイルが見えてくるに違いない。それをわが物とした時、若い世代が憧れる格好の良い大人の女になれるのだろう。
「重要な事をつけ加えるならば、無駄な物を削り落とすようにして、最後に残るのは美しく、優れた感覚の力あるものなのです。それが骨董であっても、現代作家の作品であっても」
美意識を持つ大人になるということは、これと同じ意味を持つことだといえる。『美しく優れた感覚の、力あるもの』の姿こそ、大人の格好良さなのだ。(了)
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黒田泰蔵
(くろだたいぞう)
白磁湯呑み・鉢
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※各画像はクリックで拡大します。
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