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構成・文 高橋伴子 協力 Yuko KAWAKITA(CROSSING INTERNATIONAL INC.)
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先入観というものは、すべてにおいて素直な眼差しというものをくもらせてしまうものである。私事においても例外ではなかった。
ジュエリーという分野において、私は、ある意味で軽んじていたように思う。宝飾というものは、人間の生き死において無駄とは言わないまでも、不可欠な存在ではないと思うからだ。宝石は、魅力的なものである。あの、きらびやかな輝きは、時として権威を認識させる道具であり、象徴となっていたことは確かなことで、その点でいうと、常に華飾であっても、私にとってアートではなかった。ジュエリー・デザインそのものについて思えば、それを手がけるのは、老練な気難しい職人気質の老人で……と、そんな独断が私の中には確かにあった。 そんな偏見にも近い私の思いを、クリストファー・フェランの作品は、有無を言わせずに、一気に取り払った。そしてあえてつけ加えるならば、彼はまだ、33歳の若さである。その事実も私には、驚きであった。 彼の作品を目の当たりにしたとき、素直に、身に付けてみたいと思った。共にありたいと思った。出来うるならば、我が物としたいと思った。私が思っていたジュエリーとはほど遠く、その作品は、彫刻であり、まさにアートであったのだ。単純にして華麗なるフォルムは、ファインアート(美術)といっても言いすぎではないように、私には、思えた。そう感じさせるものは、一体何なのだろうか。 彼の作品には、たくさんの「不思議」がある。その一つは、こそげ落とされたような、シンプルで違和感のないなめらかな曲線である。宝石そのものの存在感だけで形造られることの多いジュエリー・デザインにおいて、フェランのデザインは、フォルムのラインを極力大切にしていることがわかる。このラインは、彼の感覚そのものなのだろうが、しかし、計算されたものではない。 唐突なことだが、私はこの曲線を辿りながら、古い日本美術にみる非常に日本的な筆使いを連想していた。あの日本画特有の、突き詰められ単純化された曲線。桃山時代にみる本阿弥光悦や江戸時代おける尾形光琳の、あのまろやかで力強い筆致を思い浮かべたのである。 フェランは、生まれも育ちもアメリカである。当たり前のことだが、刺身やご飯やみそ汁ではなく、ハンバーガーやステーキで育ったのであるから、日本的な美意識などその根源にあるわけはない。そう、思った。ここにおいても、そんな私の頑なな思い込みが邪魔をしていたようである。ところが、である。フェラン自身に聞いてみると、日本食を実に良く好むそうである。ほとんどが日本食というから、舌をまいてしまった。器用な箸使いをみせて、煮物や焼き魚を口にする姿を見て、私は、彼の様々な「不思議」の源を探し当てたような気持ちがしていた。フェランの感性の質は、日本的な美意識を共有しているのではないだろうかと、つくづく思った。その秀でた造形の才能は、どのようにして誕生したのか、深く知りたくなった。 |
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「結果として、ジュエリー・デザインだった」とフェランは語る。
彼にとって、ジュエリー・デザインに固執して選んだのではなかった。アートそのものの世界への興味から、そもそもは始まったのだという。絵画や彫刻を学ぶ中で、ジュエリーを素材にする造形に出会ったというのが正しいのかもしれない。ハイスクール時代に手がけた作品は、すでに高い評価を受け、大学においては奨学金を受ける対象となったのである。 「本来は、ファインアートが中心にあったのだと思います。ハイスクールからカレッジへ進学するときに、絵画をはじめとした自分の作品集を提出しますが、その作品の中で最も評価されたものが、ジュエリー・デザインでした。自分自身は、ファインアートのジャンルで入学しようと思ったのですが、学校の方から、ジュエリーの作品が素晴らしいからジュエリーで入学するように勧められ、そのジャンルで入学するならばスカラーシップをあげようというので、ジュエリー・デザインを選んだのです。アメリカの大学ではよくあることですが、学んで行く途中で選択ジャンルを変えることができるので、まずは大学側の意向に沿うようなことでも良いかなと思って受けました」 この言葉を聞く限り、彼にとってファインアートもジュエリー・デザインも同じ目線での仕事であることがわかる。最初は、彫金のような造形から始まったというが、作品を造り続けているうちにどんどん興味が湧いてきて、一つの作品が仕上がる度に、ジュエリーそのものに対する魅力に引き込まれていったのだという。 フェランにとって、ジュエリー・デザインの第一歩は、素材だという。素材があって、それをもとにしてフォルムが作られるという。ジュエリーの持つ素質や個性というものを、まずは感受することから始まるのだ。この考え方が、素材に対しての興味を徐々に変化させて、硬質な金属から宝石へと移り変っていった。現在、フェランは、ダイヤモンドはもちろんであるが、ムーンストーンや多彩な色艶をもつ真珠をたくみに操る。中でも黒真珠については、強く創作心を動かされているという。宝石そのものがもつ質感は、そのものの個性となってインスピレーションを与える。フェランはそれを尊重するのだ。 何よりもフェランは、宝石という素材そのものを愛してやまない。だから、自分で好きな宝石を一つ一つ選び、それらの石のもつ輝きが一番美しく表現できるデザインを考えるというのである。決してねじ伏せるように、デザインを押し付けるような真似はしない。 「ジュエリーというのは、人が身につけて完成されると考えます。つまり、宝石そのものの持つ個性と自分の感性を通して造り上げられたデザインと、身につける人の持つ雰囲気とが、三位一体となってこそ完成されると思っています。 ジュエリーは男性、女性限らずに身につけてかまわないと思いますが、基本的には、女性の美しさへの憧れを含めて、女性に対するジュエリーをイメージすることが多いといえるでしょう。その女性が今まで以上に魅力的になるために、私のデザインしたジュエリーを身につけて欲しいと思う。しかし、ジュエリーそのものがモノを言い過ぎてはだめだと思っています。美しいマテリアルが、女性の内面的な美しさまで引き出せるような、そんな相乗効果があるデザインでありたいと思っています。ですから、私の場合はジュエリーがその人より勝ってしまって、宝石だけが自己主張するということはあり得ないのです。常にそのことを念頭に置いて制作しています。 また一方では、作家としての自分もあるわけですから、作品の持つ芸術性にも力を入れて、一つの作品に対してとことん突き詰めます。ですから、大きなバックアップを持たずに、自分自身の責任の中で作業しています。デザインから加工までを自分のスタジオで手がけているので、大量生産はできないのです」 フェランの仕事は、彫刻家が彫刻を造り上げることと何ら変ることはない。フェランの作品には、その作業の中で追求された最も美しい形をしたジュエリーを身につけたとき、その人の本来の美しさまでも醸し出してくれる魔法があるように思えた。 |
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フェランのデザインワークの重要な要素であるフォルム、つまり、デザインの根源というものはどこにあるのだろうか。フェランは、自分の作品についてのファイルの中で、次のように記している。
『私に刺激を与えるものは、自然界の形であり、自然が私のモティーフだといっていい。私がジュエリーに命を吹き込むとき、特に心がけるのはシンプルとバランスだ。自分自身の中から新しいアイデアを引き出してくる事は、全ての人にとって必要なことだと思うが、自然と伝統というとても大事な要素を忘れてはならない。新しく、且つ純粋な目と心で[今]を見るのと同時に[過去]を尊重して、それをインスピレーションの糧とする』 この製作に対する姿勢が、クリストファー・フェランの、他に類をみないジュエリーを誕生させている理由なのだろう。そしてここにおいて、大いに刺激を与えているものが、[日本]という素材なのだという。 6年程前、ファーレンは旅行を目的として来日した。限られた時間の中で、京都を訪ね伝統的な寺院に触れたという。最も印象に残ったのは銀閣寺だったとフェランは語る。何気なく置かれた仏像や建物、古美術に触れ、それぞれがもつディテールに夢中になったという。そのとき受けた刺激が、作品の中に自然に転化されることになった。フェランの作品の中で、印象的な作品があった。プラチナとブラックパールで構成されたブローチである。ブラックパールを支えているのは、竹を思わせるフォルム。その上に冠するように載せられたブラックパールが一粒。ただそれだけの造形である。何ひとつ無駄のないデザインは、究極に整理され潔く描かれた掛け軸の絵を思わせた。 「パールを好むのは、生きて完成されたものであるということ」とフェランは言う。ダイアモンドに代表される宝石は、いわば化石のようなもので、長い時間をかけて地球が造り上げた石である。原石そのものには特徴というものはなく、カッティングされて初めてその輝きがはなたれるのだ。しかしパールは、核を抱いて生きながらその美しさを完成させるというのである。自然が育んだパールは、一つとして同じものがなく、それぞれに個性的な美しさを持っている。その個性を活かしたいという思いが、デザインワークを刺激する。そこに心ひかれる理由があるのだとフェランは語った。 フェランの若い時代の作品は、色々な事をしてみたいという思いが先にたち、つけ加えることが多いデザインであった。デザインに対する感覚は、初期の段階から変ってはいないというが、ある程度時間をかけてくると、必要なところには効果的なフォルムの表現をする一方で、どんどん無駄なところを削り取るようになってきたという。その時期にあいまって、日本的な簡略化された美の表現に出会い、影響を受けたのだった。 このような彼の歩みを知ると、私自身がフェランのジュエリーに対して、東洋的な安心感を体感したのは、しごく自然なことだったのだと思う。 重ねて繰り返すが、日本人の美意識というものは、日本人以外の人種には分かりえないものという頑固な意識が、私を含めて多くの日本人にはあったはずである。しかし、フェランの作品を見る限りにおいてはそうではなかった。日本の美意識という、いたく個性的で特殊な感覚は、すでにグローバルになっていると確信する。かえって日本に生きる我々は、本来の日本人が抱き続けてきた珠玉を見逃し、フェランのような外国の美の探究者に気づかせてもらっているのかもしれない。 フェランは今、新しいフォルムを模索している。 次は生き物をモティーフにした造形を考えているという。フェランの感性の中の共存する東洋と西洋は、今後どのようなジュエリー・デザインを誕生させるのだろうか。大いに期待し、次の出会いを願うばかりである。 (了) |
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| ※画像をクリックすると作品紹介ページをご覧になれます。 | |||||||||||||||||||||
| Christopher PHELAN(クリストファー・フェラン) 1969年 アメリカ ミシガン生れ。 |
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| デトロイトのThe Center for Creative Studyにてジュエリーデザインの奨学金を受ける。その後、ニューヨーク、The Alliance of Independent College of Artで学ぶ。イタリアのThe Art Center International Florenceでも奨学金を受け学ぶ。それぞれの大学においてジュエリーデザインはもとより、美術史、芸術学を専攻する。現在ニューヨークに自らのスタジオをもち、ニーマンマーカスなどの有名店に作品を置く一方、定期的に来日し、愛好家へ作品を提供している。作品に対しての評価は高く、ハリウッドで活躍するミア・ファロー、キム・ベイシンガー、ニコラス・ケイジ、キース・リチャード、シャーリーズ・セロンなどに愛されている。日本では、浜崎あゆみが愛好している。全てのジュエリーは、デザインから加工まで、一貫してクリストファー・フェランが手がけている。 | |||||||||||||||||||||
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| ※クリストファー・フェラン、および彼の作品に関するお問い合わせは、crossingny@aol.comまで、メールにてお願いします。(ウェブマガジン・アイシスで見たことを明記してください) 作品紹介ページはこちらから |
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