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プロフィール
余貴美子(よ きみこ) 1956年横浜生まれ。高校卒業後76〜84年まで自由劇場に所属。86年東京壱組の旗揚げに参加。96年に解散後、舞台、TV,CMとジャンルを問わず幅広く活躍する。99年、ブルーリボン助演女優賞、日本アカデミー優秀助演女優賞を受賞した。 |
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構成・文 高橋伴子 撮影 五頭輝樹
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| 大雨の中、自ら運転する大型の四輪駆動車で、余貴美子さんはたった一人で現れた。颯爽とした明るい登場で、正直拍子ぬけの状態であった。 観客とはわがままなものである。テレビや映画の中で、余さんが演じる女と余さんの姿とを、何時の間にか重ね合わせてしまっていたようだった。現実の余さんは、軽やかでのびのびとした女性。少々意外だった。 「けっこう身軽なんです」 あっけらかんといった口ぶりで、 「あんまり深く考えていないっていうか、行き当たりばったりみたいなところがあるんですよ」 そんな会話のやりとりをしているうちに、何時の間にか、思い込みで凝り固まっていたこちらの気持ちが、ふっと和んだようで、肩から無駄な力がぬけていくようであった。まさにこれが、この人の魅力なのだと直感した。 余さんの演じる女たちは、様々な環境にどっぷりつかって生きる女たちばかりである。当たり前のことであるが、本人自身、それらの環境を体験しているわけではない。しかし、画面の中にいる余さんは、まさに、ヤクザの情婦であり、裕福なマダムであり、有能なキャリアウーマンであり、夫との関係にくたびれた主婦であるのだ。彼女たちが生き抜いてきた匂いのようなものまで、しみついているかのように演じる。その女のひとりひとりが、まるで余さん自身かように錯覚する我々は、その存在の強さに、時として胸を痛め、深い印象を覚えるのである。 余貴美子という女優が、ただ優れたバイプレーヤーであるという一言だけでかたずけてよいのだろうか。どんなキャラクターでも懐柔し、自分のものとしてしまうこのしなやかさは何なのか。それが知りたかった。 |
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| 余さんの出発点は、舞台である。その世界を選んだのは、じつに単純な理由からだった。 「お芝居を見ていて、なんか楽しそうだなと思ったんです。お稽古する姿が楽しそうに見えました。時間が決まっているお勤めをするよりも楽しそうだったし、何よりも、こ難しい思い入れなどありませんでした。当時の演劇活動は過激なことをしている時代でもなく、ちょうど中途半端な時代だったといえるでしょうね。私自身曖昧な気持ちのまま選択したんです」 こうして選んだのが、自由劇場であった。 「学校を卒業し、すでにとある商社への就職も決まっていたのですが、偶然みたいなきっかけで、別な選択をしてしまったんです。友人が自由劇場の試験を受験するというので、それに付き合って受験。その結果、私だけが合格してしまいました。すでに決まっていた就職は迷わずやめちゃいました」 こうして特に興味のなかった演劇の世界へ、一歩足を踏み入れたのである。 しかし、それまで舞台を見に行ったこともない人間が、果たしてうまくいったのだろうか。 「舞台を見たというのも友人に誘われて行ったまでのこと。今考えてもどんな舞台であったかも覚えていない。面白かったとか、感動したとか、そんなことではなかったですね。その舞台に出ていた人たちに、何か勢いがあって、それがとても楽しそうに見えたことが、決心した理由かもしれません」 |
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| 近年インタビューを受ける度に、大変なご苦労があったのではとよく聞かれて、余さんは苦笑してしまうという。『知らないということは、本当に怖いこと。苦労さえ解からなかった』と笑いながら応えた。 「目の前にあることがすべてといった感覚でした。そもそもこういう世界がどんなものなのか予備知識がまったくないわけで、これはこういうものなのだと思うほかはなかったというのが正直なところです。自由劇場にいた頃のことを考えると、何が良くて、悪くてとか、何が魅力だったのかとか、そんな記憶がなくて、ただただずっとやっていたという思いがあります」 目の前にあるハードルをまず越えなければ、前進できないような日々がそこにはあった。極端なことを言えば、悩む暇さえなかったのだ。 「ただ夢中で、といえば聞こえが良いが、何かをやり続ける、いつもやらざるを得ないという状況ですから、他の事を考える余裕がありませんでした。とにかくやらないと眠れないし、次には行けないし、明日がこない。そうして続けることが、生きることにつながっていったのでしょう。クセですかね、今でも気持ちを忙しくさせて、何かを建設するというように思って動いているような気配が、自分の中にあります」 自由劇場に九年ほど在籍した後、仲間たちと東京壱組を旗揚げし、女優として舞台に立った。この頃から映画やテレビへの出演も増え、女優余貴美子の演技が広く知られることとなる。余さんは三十代を迎えていた。 東京壱組は、十四公演を発表し解散。その後の余さんの活躍は周知の通り。それからの十数年の間に、大変な数の仕事を、こともなげにあっさりとこなしている。『気持ちを忙しくさせて〜』という言葉通りである。 |
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| 小劇場の女優から脱皮する時期に、余さんは個性的な映画監督との出会いに恵まれた。触発されるかのようにその個性を開花させ、後々まで話題となる作品に出演することとなった。 「女優であることの楽しさといえば、普通の人にとっては意味のない、生きていくことにあまり必要ではないことを、堂々と練習し、考えることができることだと思います。それはとても大切なことですよね」 そんな姿勢が『噛む女』や『ヌードの夜』のスクリーンの中に凝縮し、高い評価を得たのだろう。 「本来自分にはありえない姿をもとめられるわけです。ですから、脚本に対して誠実に読み込んで行きますね。男と女のからみなんかもそうです。そのシーンを、あんまりお行儀よくやると、見ている方は、白々しくなってしまうでしょ。だから、なるべくお行儀悪くやりたいと思うの。男の人から、あの女と寝たいって思われるくらいにね」 多くの男たちが、いい女の筆頭として、女優余貴美子を上げる理由がここにある。だからスクリーンを通して、こんな女に翻弄されたいと、男なら誰しも思うのである。 |
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| さて、今、余さんにとって異性の存在というのは、どうなのだろうか。 「自分で選んできたので、この道を行くだけみたいなところもあります。いずれは結婚と思うけど、今は相手もいませんし、積極的に考えてはいません。仕事が面白いというのもあるから、ちょっと面倒という気持ちもありますね。劇団にいた時などは、劇団を続けるのも結婚を続けるのも大して変わらないなと思ってました。私が思う結婚は、生活するとか仕事する日常で、何か共犯者的な存在だなあと思うんですよ」 自分と同じ目的を駆逐するための共犯者。これが余さんならではの生き方のスタイルなのだ。 「当然ですが、性の違いに関係なく演劇の世界では仕事ができます。たとえばゲイであることをカミングアウトした人であっても、宗教や政治思想が明確にある人でも、共存できるんです。求められるのは、ただ人間らしさ。ここは、居心地のよい場所なのです」 けれど、人生を刻む上でのパートナーと考えるとどうなのだろうか。 「ラクチンな相手がいい。正直に生きていて、ちゃんと話ができて、相手の話をちゃんと聞いて、間違っていたら素直に謝るような、ありふれた普通の人です」 そして、余さんはこうつけ加えた。 「ちゃんと呼吸をしている人かな」 この『呼吸』というものを、余さんはとても大切にしている。 「お芝居の時のせりふまわしにもいえることですが、たとえば、オドオドしたり、気持ちの裏に何か考えがある時は、ちょっと息を止めたりするんです。でも、素直に会話する時には、普通に息をするといった、人の習性みたいな特徴みたいなところがあるんです。ちゃんと呼吸をしていない人っていうのは、何か溜まっている感じですよね。そういう感じの人っていうのは、酸欠状態になってしまうんです」 普通に呼吸している人は、自分の選んできた人生に対してきちんと責任をとっているのだと言う。 「いろんな小さな因縁を積み重ねて離れがたき相手となるわけだから、まあ自然にというのが良い関係でしょう」 これまでの仕事においても、人間関係においても、どれだけの出会いがあり、どれだけの別れがあったのか、知る由もない。この時の流れが、今最も魅力的な女優としての余貴美子を作り上げていることは確かなことである。 |
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| 「俳優ほど小心で、いかがわしいというか、嫉妬深い人種はいないと思うんですよ。そんな自分を信用することが一番難しいけど、それを信じてやって行くだろうなと思う」 仲間でもある女優の根岸季枝さんは、『素顔の余貴美子は、気を使いまくりの苦労性。気立てがよくて、適当に呑べえで…それがカメラの前に立つと、全身から潔さがにじみでる』と語る。苦労なんかしていないと言いながら、見えない部分でしっかり気配りする性分。それが、余貴美子ならではのしなやかさとなったのかもしれない。 この人は、どんな風に歳を重ねるのだろう。見つめ続けたいと思わせる人であった。 |
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