アメリカの食を通してアメリカンドリームを知る
東理夫(ひがしみちお)
1941年生まれ。作家・翻訳家。アメリカ文化への造詣が深く、その知識を基に、世界の推理小説、ドキュメンタリー、料理、音楽など幅広いジャンルで活躍している。主な著書に「スペンサーの料理」、自伝的な著書「湘南」(早川書房)、「スペインは味な国」(新潮社)、「ケンタッキー・バーボン紀行」(東京書籍)、「エルビス・プレスリー 世界を変えた男」(文春新書)など多くの作品がある。その一方で、イラストレーターの沢野ひとし氏達とともに、カントリーアンドウェスタンのバンドを組んで活動している。

             写真 東理夫
東理夫氏 写真
アメリカの食べ物といわれたとき、どんなものを想像するでしょう。映画やTVドラマのワンシーンで垣間見た、バーベキューをしているような場面での、ステーキやハンバーグでしょうか。それともマクドナルドのハンバーガーやケンタッキーフライドチキンといったファーストフードでしょうか。
あふれるように、提供される食べ物であるにもかかわらず、一つ一つをとらえてみると、機微がない。私のイメージは、そんなものでした。私にとってのアメリカの食べ物は、フランスやイタリアの食のように、特別にこだわりをもってうまみを追求する美食といったものではありません。どちらかといえば『手軽に食べられる』といった程度の認識しかなくて、美味しさからいえば積極的に紹介するようなものではないというのが、私の正直な気持ちでした。
そんな私の先入観を、アメリカ文化に造詣の深い作家の東理夫さんは、見事に打ち砕いてくれました。「アメリカの食は、ただ、美味しいとかまずいとかで決められるような、単純なものではない」と語る東さん。「アメリカの食文化を正しく知ることは、アメリカという国そのものを知ることなんです」
東さんの、しっかりした視点でとらえたアメリカの食文化のお話を、おすそ分けいたします。
育った環境からカナダやアメリカの文化への興味をもった
育った環境からカナダやアメリカの文化への興味をもった
子供の頃、東さんの日常はアメリカ人の暮らしそのものでした。ある意味で特殊ともいえる生活環境の最大の理由は、東さんの両親によるものです。東さんの両親はカナダに移住した日本人の二世同士。第二次世界大戦を境目にして、人生を翻弄された世代でした。その顛末はともかく、東さんが誕生し、日本での暮らしが営まれたのです。日本語よりも英語のほうがたやすいという両親ですから、その環境の中でカナダやアメリカがより身近にあったということは、当たり前のことだったといえるでしょう。
「僕の育っていった環境の中心には、ラジオがあった。そのラジオから、いつもいつも外国の放送が流れていた。当時のWETR(現在のFEN放送)で、その放送からカントリー&ウエスタンや、ハワイアンといった音楽が流れていた。その音楽を通してアメリカに興味をもったということが始まりだった。また、カナダで育ったおふくろの作る料理は、カナダやアメリカの庶民が作る料理だったり、満州で覚えた中華料理のようなものや日本料理の変形だったりした。そんな生活習慣やおふくろの作る料理を通して、アメリカを好きになったのだと思う」
その当時の東家の料理は、確かに一般的な日本人の家庭の料理とは違っていたようです。
「高校生時代、友人達とバンドを組んでいて、練習のために我が家にやってくる。ハラペコな子供達に出される食事は、決まってポークチョップだった。野菜が添えてあって、ごはん、そしてグレービーソースがかけられてといったもの。これは、まさにアメリカの庶民の味だった。おふくろの作るものは、アメリカ食といっても一流ではなく、フライドチキンや牛肉の塊をポットローストしたりとかという、普通のアメリカ家庭料理そのものだった。僕がアメリカの食を知ったのは、こういったおふくろの料理からだった」
そのことが、後々、作家東理夫の出発点となった『スペンサーの料理』という本の著作へつながっていくのです。推理小説家、ロバート・B・パーカーがその本の中で登場させているスペンサーの料理は、東さんが普段家庭で食べているものとほとんど変わりませんでした。日本人がアメリカの食について、理解できないことが多い中、東さんはすぐに分かったのです。そのため、この本を手がけることになり、ひいては作家としてスタートをきることになったのです。
食を通してアメリカを見る
作家になってから東さんは、当然のことですが、最も身近にあるアメリカにテーマを求めることが多くなりました。作品に仕上げるまで、東さんは自分の足を使い調査をします。その現場をみて、空気を感じ、自分の目を通して理解していくのです。ふらりとアメリカへ行き、レンタカーを借りて目的地へ向かうといった取材を毎年やっています。その結果、薄皮を剥がす様に、誰も知らなかったアメリカが見えてくるのだそうです。その東さんの目を通して現れたアメリカの食とは、一体どのようなものだったのでしょう。
「アメリカ各地を何度となく訪れてみると、アメリカの食文化というものがよく分かった。他の世界のどこにもない食の方向というものを、アメリカはもっているということをね」
それを理解しなければ、イタリア料理やフランス料理と一緒には語れないのです。
「イタリアやフランスの人達は、食べるためにに生きるというようなことをよく口にする。その一方で、ドイツ人やイギリス人は、食べることよりもいかに生きるかということを問題にする。食というものを人生の中心においているような、イタリア人やフランス人のような人種は、うまくて美味しい物を捜し、努力して美味しくしようとする。つまり、食べるということは、美味しくなければならないという前提としての考え方があるわけだ。だが、アメリカ人にとっての食は、違う。アメリカだけは、食において『美味しい』ということが、一番重要な要素ではないんだ。極端なことをいえば、美味しくなくても良い」
では、何が重要なのでしょうか。
「どこでも、いつでも、同じ物を、同じような価格で食べられるということが重要といえる。たとえば、ステーキをあげてみようか。要するに、アラスカの寒村で食べるステーキとフロリダの豪華なレストランで食べるステーキは、同じ部位の肉で、同じ大きさで、同じ厚さで、同じような焼き具合のものであること。そして、味付けは、塩と胡椒。ベイクドポテトが添えてあり、サワークリームかホイップドクリームかチャイブスかベーコンのカリカリがのっていたりする。そのスタイルで良い。それ以外は何もいらないんだ。値段だって、場所の違いのための差はあるが、安くて1ドルから高くてせいぜい25ドル位の範囲で食べることが出来る。それで良いんだ。彼らは、いつでも、どこでも、同じ物を同じように食べられるということが望みなのだ」
何故そのような考え方が生まれたのでしょう。
「アメリカは、国内で時差があるほど広い国である。その中で、移動しても同じ物を食べたいという欲求がある。だから、フランチャイズというシステムを誕生したといえる」
アメリカならではの食に対する考えは、実に様々なスタイルを生み出しているのです。
誰が作っても同じ味になるということが、アメリカの考え方の基本
東さんは“どこにいても同じ味の食べ物に出会える”ということが、アメリカの食の考え方だといいます。そのために、これぞアメリカンフードという製品が作られてきたのだといいます。
「キャンベルのスープというものがあるよね。缶詰めに入ったスープで、鍋に空けたら水を加えて温めれば良いというやつ。あれが、典型的なアメリカンフードだ。彼らにとっては、ホームメイドのスープよりも、キャンベルのスープの方がずっと良い。誰が作っても、水以外手を加えなければ同じ味だからだ。キャンベルの缶に、そのスープを使った料理のレシピが貼ってあるのをご存知だろうか。アメリカではあのレシピだけを集めた本まで出版されているのをみても、いかに好まれているものかが分かると思う。こういったものを彼らは非常に歓迎するんだ。なぜなら、いつだってコンスタントな味を口にすることができるという、アメリカの食の必要要素を持っているからね」
確かに、我々が、食に対してもっている考え方と全く違った考え方がアメリカにはあるようです。そのことが、国の方針にも表れているのだと東さんは語っています。
「日本人の考え方で例をあげてみよう。たとえば、美味しいお米があるとする。どの地方の誰それさんが作ったお米である。限られた分量しかとれないから苦労して手に入れようとする。とたんに価格も上がって、その値段では買えないなという人と、いくら高くても買うという人が出てくる。それが日本の現状だろう。しかし、アメリカは違う。美味しい米があるならば、それを量産しようという考え方なんだ。アメリカには大切な、基本的な考え方がある。それは、“平等と公平の原則に基づく権利”。食についても同じで、誰でも同じように口にする権利があるという考え方に基づいている。まず、潤沢に、ある一定レベルのものを提供することが、アメリカという国の勤めであり、国の政策も自ずとその基本に沿って計画されているわけだ。報道される国家間の農業政策などを耳にしたときなど、そのことを踏まえて考えてみると、アメリカが何を言いたいのかということがよく分かると思う」
本当の意味でのアメリカン・ドリーム
『誰もが平等に美味しいものを口にすることができる』ということを理想とするこの考え方は、アメリカという国がどのような国なのかを、理解する上で大変重要な要素であるということが、よくわかりました。そして、アメリカの一員になるということは、この権利をもつことなのだと東さんは続けます。
「大量に生産されることで、安い値段で提供され、隣の人と同じ食べ物や物を手に入れることができる。そうなると、隣の人と同じレベルの暮らしをすることができる。どんどん働いて、また、手に入れるといった、プラスの循環になっていったといえる。それが、移民が開始され、やっとアメリカを自分の国として作っていこうとしていた19世紀のアメリカの姿だった。アメリカに移民した連中には、この広いアメリカで、誰もが同じように生活できるという理想を掲げた。それがまさに、『アメリカン・ドリーム』ということなんだ。エルビス・プレスリーが有名になることではない。この国へきたものは、同じように働けて、同じような収入を得られて、望めば隣の人と同じものを手にいれることができ、同じ生活ができる。それが理想(アメリカン・ドリーム)なんだ。だから、食べ物に対する考え方を見るとき、『美味しくなくても良い』ということになるわけだ。アメリカの食を理解するといことは、こういうことなんだ」
このように、いつでもどこでも、隣の人と同じ物が食べられれば良いという基本に、たどりつくことになったのです。「アメリカの食はまずい」と頭から断定することは、食についての考え方の方向性が違うのだということもわかりました。
取材・構成 高橋伴子
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