八鳥治久(はっとり はるひさ)
中国 東北部(旧満州 奉天市)生まれ
千葉大学工学部工業意匠学科卒業後、1960年和光入社。
デザイン企画部部長を経て、85年取締役就任。95年常務取締役就任。2000年同社勇退後、八鳥治久デザイン事務所設立。
武蔵野美術大学非常勤講師、日本ビジュアルマーチャンダイジング協会理事長、日本ディスプレイ業団体連合会理事。

 地方都市で、生まれ育った者にとって、東京は憧れの街です。中でも銀座は特別でした。『銀座で…』といわれるだけで、なんとなく一人前になったような気分になりましたし、何よりも、こんな言われ方をすると、田舎者的コンプレックスをもっていた者には、東京人になれたかなという、ささやかな嬉しさがありました。銀座を知ることは、東京を知ることのように思えたのです。その中心は、銀座4丁目の交差点でした。銀座を語るには、ここから始まるのです。
 東京で、いや、日本で最もよく知られ、名所ともいうべきこの場所に建っているのが、時計塔のある建物「和光」です。戦後、服部時計店の小売部門を受け継いで創業し、現在では、高級専門店としての位置を確立しています。
 『銀座で…』といわれた時、いつも待ち合わせは和光の前でした。その理由は、誰にもよくわかる場所であると同時に、たとえ待ち合わせに遅れてしまっても、待たせてしまった相手を決してイライラさせない場所だったからです。
なぜなら、そこには、ショーウィンドウがあったから。そのショーウィンドウの面白さで、待ち人来ずとも時間をもてあますことなどなかったのです。横幅8mと5mの世界に繰り広げられる物語は、常に斬新で、楽しく、ユーモアにあふれていました。この物語を作っていたのが、八鳥治久さん。「銀座の顔」を作った人です。
 八鳥さんが和光に入社したのが、1960年。最初は、和光のオリジナルブランドのデザインを手がけ、その後10年ほどして、ショーウィンドウのデザインする立場となったのだそうです。以来30年以上、ショーウィンドウ・ディスプレイのステージで活躍することになります。発表した作品は、260点あまり。まさに「銀座の顔」としてのショーウィンドウ・ディスプレイを確立したのです。
 1960年代までの和光のショーウィンドウは、その当時有名な商業デザイナーがディスプレイデザインを手がけていました。今ではデザインの歴史に、名を残すようなデザイナーばかりです。その足跡を踏んで、八鳥さんたちがデザインを受け継いだとき、最も大切にしたことが「エンターテイメント」ということでした。
「エンターテイメントな要素をもつディスプレイをしようと、共に仕事をする同僚と話し合いました。つまり、楽しいものにしよう、誰が見てもわかるようなディスプレイにしようと思ったのです。それまでの和光のディスプレイデザインは、品格の高い構成的なデザインが主流でした。それをガラッと変えて、たとえば、マンモスとかゴリラのぬいぐるみを、和光のショーウィンドウにずらっと並べたりしました」
それを見た人たちは、ワッとびっくりし、そして微笑みました。八鳥さんは、これを「もてなしのデザイン」と呼んでいます。
 「もてなすということは、人の喜びを求めるということ。楽しんでいただくということ。見て楽しいものを、あのウィンドウの中に展開することが、もてなしのデザインなのだと思います」
このディスプレイデザインは、その年の、日本ディスプレイデザインの最優秀賞を受賞することになりました。

 もてなしのデザインをする上で、八鳥さんは、大切な二つの要素を常に考えるといいます。
「一つは、驚きを作ること。そして、それが共感に結びつくこと。この二つの要素を核にして、発想してきました。私の手がけたディスプレイの表現は、すべてここに集約されると思います」
『驚き』と『共感』とは、具体的にいうとどういうことなのでしょう。
「あのショーウィンドウの空間に、意外性のある物語を作り出すことといえばよいでしょうか。わかりやすくいえば、普段見たことのないような物を持ち込んだり、考えられないような情況を作ったりということです」
この考えをうまく表現した伝説的な作品がありました。題して『泥棒物語』。連作となったもので、人体から型取りしたリアルな7体のマネキンを使い、当時話題となっていた『黄金の7人』という映画をパロディにして、それに「いぶし銀の7人」と名を付けました。
パート1は、マンホールを設定し、そこから和光の店内に忍び込んで、今まさに商品を盗み出そうとしている情況。パート2は、天井裏からの侵入。泥棒の一人は、ショーウィンドウのガラスをツルハシで割ろうとしているような場面でした。
 また、パリ・モンティーニュ通りと東京・銀座通りの姉妹提携の調印式が、和光のショーウィンドウ前で行われるのを記念して作られたディスプレイも、驚きと共感そのものでした。マネキンの女性がかぶっている飾り帽子。そのままで見れば装飾的にデコレーションされた帽子ですが、そこにスポットライトを当てると、パリの象徴的な風景がシルエットとなって現れるというものです。
そして、年末から新年にかけて作られる、干支をテーマにしたディスプレイも圧巻です。横8mと5mのウィンドウを連動させながら、無限の空間を作り上げてしまいます。

 多くの作品を誕生させる苦労は、計り知れません。そのアイデアの原点というものは、どんなところにあるのでしょう。
「いつでも、色々なものに興味をもつこと、しかし、ただ見ているだけでは意味がないんです。感動していないと自分のものになってこない。良いものを見て、いかに良い体験をするかが重要なことだと思いますね」
感性は生もの。柔軟性のある感受性を育むことなのだと知りました。

 このショーウィンドウの前を今までいったいどれだけの数の人たちが通りすぎたのか、見当もつきません。ただ言えることは、その多くの人たちが、このウィンドウに対して無関心ではいられなかったということです。足早に通り過ぎようとするサラリーマンでさえ、その視線はウィンドウの中を追いかけていたはずです。ましてや意気軒昂のデザイナーのひよっこたちは、ディスプレイデザインへの情熱をかきたてられたことでしょう。そして何よりも重要なことは、そのとき心に悩みをもつ人や、笑顔を忘れかけた人たちに、置き忘れてきた何かを、思い出させたこと。このウィンドウは、幸せな何かが潜んでいるワンダーランドなのです。

 現在八鳥さんは、和光を勇退。後進の指導にあたりながら、長年にわたり培ってきたディスプレイデザインの真髄を、教壇や講演会を通してメッセージし続けています。
パリ・モンティーニュ通りと東京・銀座通りの姉妹提携の調印式が和光ショウーウィンドウ前で行われた。それを記念してデザインされたウィンドウ。飾り帽子のシルエットがパリの名所を映し出す。1992年制作。
2000年辰年。龍は、想像上の動物であり、実際に目にすることはできない。それがあたかも実在するかのような躍動感。ディスプレイならではの楽しさである。二つのウィンドウにまたがって、自在に飛翔する黄金の龍は、新世紀の到来をつげている。
ショーウィンドウの前で「ツリーをどこまでもっていくの」と呼びかけていた少女がいた。天使たちが運んでいくのは、きっとあなたの家と答えてあげたかった。少女はワンダーランドに足を踏み入れて、楽しんでいた。1996年制作。
作品はクリックすると、大きくなります。
構成・文 高橋伴子
Copyright (c) 2001 i-sys.ne.jp All rights reserved.