プロフィール

桑原櫻子(くわばらさくらこ):写真左
桑原専慶流家元の長女として生まれる。六歳の頃より活け花の手ほどきを受ける。現在副家元として教授。料理教室「Cherry Kitchen」を開いている。

桑原仙渓(くわばらせんけい):写真右
1961年生まれ。同志社大学工学部卒業後、櫻子さんと結婚。立花の研究もさることながら、自然の感性を取り戻す手立てであると、その普及に力を注ぐ。
取材・文 高橋伴子 撮影協力 温々堂
京都に平安京が造られ日本の中心として機能したのは、1200年余り前でした。都としての機能がすでになくなってしまった現在でも、京都に住む人々は都人としての誇りを持ち続けています。

京都の外側で生まれ育った、つまりよそ者である我々は、なぜか京都に憧れを感じます。季節ごとの姿を求めるように、「年に一度くらいは京都へ」と思うのです。心を動かすものは一体何なのでしょうか。

その根本にあるのは、受け継がれたものの姿です。伝統を背負いながら生き続けてきた暮らしや街の有様、つまり京都ならではの姿を受けとめ、現代の我々がすでに都会生活で失ってしまった何かを捜すように、京都を訪れるのでしょう。それは、ただ京都らしさというブランドではなく、本来我々の体の中に染み付いた日本人としての遺伝子なのです。

「京都らしさ」は、大きな魅力であることはいうまでもありません。
都としての残像が今も息づき、その生き方、暮らし方の記憶をそのまま踏襲している人々の姿を垣間見る時、京都の持つ芳醇な香りに酔いしれるのです。
まろやかな言葉の響き、暦の通りに日々を繰り越してゆくことを第一に、先祖を敬う日々の暮し。年配者は次世代の若者に季節に司られた人の暮らしを伝えながらも、決して新しさを否定せずに体で示します。我々は、そこに心を動かすのです。
伝統をあるがままの形で受け止めでいくのではなくて、「今」という新しさを取り込んで生かすのが京都人の生き方なのです。

京都人の感性を水にたとえた人がいました。
「1200年あまりの長い年月の流れの中で、一雫一雫京都の大地の中に染み込んできた水は、都を縦横に流れて、後々の世で再び汲み上げられているかのようだ」というのです。その水で育った京都人は、自然に都人としての感性を体に染み込ませるのだというのです。

伝統の担い手に出会う時、つくづくとその言葉の意味を実感することがあります。
桑原専慶流14代家元の長女として生まれ、現在15代家元であるご主人の元で副家元として教授する、桑原櫻子さんもその一人です。伝統的な華道の家に生まれ、その感性を受け継ぎながらも、その一方で料理研究家としても活躍、婦人雑誌の誌面を飾っています。桑原さんに京都・夏の暮らしの一端をみせていただきました。
七月。京都は、名残りの梅雨にやきもきしながら、祇園祭りの季節を迎えます。
七夕をすぎた頃、雷が轟き南風がひと吹きすると、爆発するような夏の到来です。

町屋が並ぶ一画に居を構えるのは、江戸期から立花の伝統を受け継ぐ桑原専慶流いけばなの家。
ここで、桑原櫻子さんは、季節の花々に囲まれながら育ちました。

夏の一日、花の家は、朝の大仕事から始まります。
「身支度をして最初にすることは、掃き清めることから。家の内外はもちろんのこと、花の塵ひとつないように掃き掃除をします」
見え隠れする花の塵屑の一片までも、ピンセットを使って丁寧に拾い上げられます。
群れた苔や草木には清らかな水を打ち、水溜の表面に浮かぶ塵までもすくい取られました。縁側は曇りの無いように隅々まで拭き掃除です。
滞った暑い空気を一新させるように窓を開け放ち、家の者総出でひたすら掃除するのが日課です。

花を扱う家ですから、家のここかしこには花が溢れていて、その花々を新しく活けかえるのもひと仕事。
「最後の仕上げは、花の活けかえです。花の水を汲み直し、時には花器をかえることなど、やらなければならない日常のきまりごとがたくさんありますが、決して大変なこととは思いません。むしろ、花とともにまた一日が始まるという喜びですね。庭の草木や露地に水を打つと、身も心も清々しくなって、なんとも気持ちの良い一日を迎えられるのです」
かどとよばれる表通りまで丁寧に打ち水されて、朝の仕度は一区切りです。

露地の途中に作られた水溜には紫陽花。茶室手前、腰掛待合の片隅には、エンレイ草、黒百合、斑入りの薄が活けられました。
爽やかな朝陽の中で季節の花の世話をするのがこの家の習慣です。

朝の掃除が済むと、夫婦で朝食。時を重ねてきた夫婦の朝餉の時間は何よりも大切にしたいひとときです。
せわしない朝の仕度がひと区切りすると、静かなひとときが訪れます。涼やかな朝の空気を満喫しながら、朝餉を囲みました。
毎朝市場から季節の野菜が届けられ、その野菜を二人はたっぷり口にします。朝露までも一緒に運ばれてきたような新鮮な京野菜の数々は、栄養満点。

結婚して二十年あまり。ともに華道家として活動するお二人は、目まぐるしい毎日です。特に今年は、ご主人である桑原和則さんが、桑原専慶流十五代家元・桑原仙溪を襲名。より一層多忙になりました。
「仕事がら、いつでも大勢の人たちに囲まれています。夫婦の時間は、仕事が始まる前の僅かな時間しかありません。これまで喧嘩らしい喧嘩もしたことがないというのも、互いによく話し合うからでしょう。食事をする束の間の時間、緑に囲まれながらゆったりととる朝食は、二人のコミュニケーションには欠かせないものなのです」

ともに同じ目標に向かって仕事をする、いわば肩を並べて歩む仲間のような関係。これまでの日々は、花に学び、花に導かれての歩みだったといいます。より豊かな暮らしは、花を丁寧に扱うことが基本とは家元の言葉でした。
「花に対して生き生きと扱い、瑞々しく活ける気持ちは、いずれ人に対しての気持ちになります。花が好きな人は自らそのようになると思います」
 多くの花に教えられる一日が、こうして始まりました。
山々に囲まれた京都の夏は、「蒸し風呂のようだ」とよくいわれます。暑さの盛りは、丁度昼下がり時間。炎天下、京の大路を歩く人々は、少しでも涼しくと思うのでしょう、片陰を求めるように歩いてゆきます。

周囲に町家が建ち並ぶ六角通りに面した家が、桑原家。表を南に裏を北にという位置にあり、京都の建物でいえば、理想的な夏の家構えをしています。南北に風が通り、西日を避けるように建てられているものの、午後の一時、さっぱり風が止んでしまうことがあるのです。まさに蒸し風呂の状態でした。
「京都に暮らすということは、この気候を受け入れて生活するということです。ですから、知恵を絞り、御簾を吊ったり葭障子にはめ変えたりして、涼しげに暮らす段取りをするのです。暑くなければ祇園祭りやあらへんというのも正直なところ。暑いなあ、難儀やなぁといいながら上手につきあっているのが、京都らしさなのでしょうね」

昼下がり、庭はうだるような暑さに包まれました。その一方で奥座敷は暗く、庭と座敷は陰影の対比を作り出しています。日本家屋の曖昧な明るさの濃淡は、時として涼しげな空間を上手に錯覚させるようです。葭障子さえ開け放し、部屋から庭へ視線を移すと、切り取られたような庭の姿がありました。まるでそれは、一枚の絵のように見えました。
随所に活けられた花の花影にさえ、涼の風情を感ぜずにはいられません。
祇園祭になると、町内のお付き合いも忙しくなります。この頃は、母・素子さんにかわって、町内の仕事にも参加するようになりました。
「祇園祭は、町衆の手で行われるお祭り。七月一日の吉符入りから二十九日の神事済奉告祭まで続きます。そのために町内では色々と手をかける仕事があって、その度に皆さんが集まります。巡行草鞋を編んだり、粽を袋詰めたりと、けっこう楽しみです。

宵山の頃には親しい友人たちも集い、さながらお祭りならではのパーティになることもしばしばです。そんな時は、水溜に飲み物や果物を浮かしてあしらい、喉ごしの良いさっぱりした料理を揃えるようにします。浴衣姿で集まったりして、昼間の暑さも忘れるほどの演出を心がけます。汗もひかぬほどの夏の夕べですが、結構楽しんでいただいています」

玄関中央に置かれた古い臼をテーブル替わりに用意されたのは、具沢山の素麺でした。あっさりと炊いた小芋が添えられています。
玄関脇に作られた細長い水溜は、本来活ける前の花を集めるためのもの。親しい人たちが集う宵の集いの折などには、飲み物や果物が入れられて、クーラー代わりになりました。

家のあちこちには、水の溜りや絶えることの無い水音が聞こえます。花の家は、水の家でもあるといってもよいでしょう。水は涼をよび、激しい暑さの一日を諌めるように、穏やかな趣を作りだします。今宵、まるで水辺に集うように、祇園祭りならでは一夜が更けていきました。(了)
※カラーの写真部分はクリックで拡大します。
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