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インタビュー 陶芸家 福森雅武
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福森雅武(ふくもりまさたけ)

昭和19年三重県生まれ。伊賀焼きの里三重県丸柱にて、土鍋の窯として有名な歴史ある「土楽窯」を構える。青年時代に故白洲正子とふれあい、一陶芸家として啓発され、多くの作品を発表している。近年制作した陶仏は、高い反響を得ている。
山をふるさとに育ったという陶芸家福森雅武さん。
取材・文・撮影 高橋伴子
野山に分け入り季節の花をもらう
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「山をふるさとに私は育った」と陶芸家福森雅武さんは語ります。伊賀焼きの里、伊賀・丸柱はその言葉通りでした。この里は、丸みのある穏やかな山々に囲まれ、いくつかの窯元がその懐に抱えられるように点在しています。福森さんは、まさにこの山々に委ねられるように育ったのです。

伊賀の山々は、やきものに合う質の良い粘土を体積してきました。その土は耐火度も高く、土鍋に使う原料として優れたものでした。そしてやきものを営むことを選んだ先達は、その燃料を山々に求め、窯を開いたのです。福森さんの先祖も同じでした。以来「土楽窯」として質の良い土鍋を作り続けてきたのです。土鍋を轆轤でひく技の確かさは、今更語るにはおよびません。オリジナルともいうべき特徴ある土鍋を幾つも発表してきました。それらは、機能的で味のよい土鍋として高く評価されています。名の知れた料理店や料理人の間では大きな信頼を得ています。

その一例を、京都にあるすっぽん料理の老舗として名高い「大市」で使われている丸鍋に上げることが出来るでしょう。この丸鍋は、「土楽窯」のものです。鍋は、長い間大切に使われ、すっぽんのエキスを吸い込んで見事な色艶を見せています。このような土鍋を前にすると、土鍋というものがただ道具、容器というものだけで片づけられるものではないということがわかります。土鍋は呼吸しているといわざるをえません。それこそが、「土楽窯」の土鍋の特徴といえるでしょう。

福森さんの暮らしは、ほぼ自給自足に近い暮らしです。伊賀の自然を感受しながら、花を活け、自ら料理をよくし、骨董を愛でる心豊かな暮らし営んでいます。かつて故白洲正子さんは、その姿を前に「新しい茶人」と称したほどでした。
山を歩き自然の造形を発見する
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福森さんの一日は、愛犬との散歩からは始まります。愛犬に手を取られて歩くかのように、田圃のあぜ道を抜け雑木林を分け入ります。里山の懐に入って行く道順は、春夏秋冬変わることはありません。その折々に出会う山の姿は、実に多彩で、発見する度に福森さんの心を揺さぶるのです。

「私にとって歩くということは、自然を見るということ。木々を眺めると、日々僅かな変化があって、気がつかないうちに花をつけていたり、枝を張って面白い曲線を作り出していたりします。庭木ではありませんから、のびのびと自由に生きている姿は実に躍動的で、生命そのものを感じます。この出会いの感動を連れて帰り、日常の中に活けようというのが、私の花の原点でしょうか。あるがままの自然が作り出した姿を持ち帰り、その時の印象を活ける。乱暴なようですが、決してそうではありません」

ハサミを入れる瞬間には、既にどのように活けるか、そのシーンが福森さんの中では決まっているのです。無駄に花や枝を切る事はしません。絶やさぬように切るというのが、山との約束。ある日ある時、一期一会にも似た一瞬の印象を、ひと握り山からいただくという気持ちが福森さんの花には込められているのです。

福森さんの家へ足をむけました。「ごめんください」と声をかけながら、おずおずとお邪魔しました。玄関を入ると自作の陶仏が出迎えてくれます。ご主人の声を待つ間、ひんやりとした空気にひと心地ついたような思いでした。福森さんと挨拶をする間ももどかしく、花の名を問わずにはいられません。

「仏様の天蓋のように活けてあるのは、ヘクソカズラと山帰来(サンキライ)。名前が滑稽なわりには綺麗なもんです。台は奈良か平安時代の寺院の柱とか聞いています」

立ち姿が20cmにもみたない陶仏。穏やかな面ざしに心和む一瞬でした。この陶仏は、野焼きという焼成の方法で焼き上げられました。この方法は、やや窪みを作った地面に作品を寝かせ、藁や木っ端(状況によって燃料になるものは異なる)などの燃料を覆い被せて点火し、焼き上げるという、最も原始的な方法です。野焼きされた陶仏は所々炎のあとが焼き残り、印象深い姿に焼き上げられています。「土楽窯」を取りまとめる当主としての立場を離れた、福森さんの一陶芸家としての作家の姿がここにあるのです。
花入れに何にどう入れるかは、花との出会いで決まる。
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「私は花の活け方を習ったということはありません。14、5歳離れた姉がいて、その姉がお茶やお花を教えていた。お花に使う花材を野山のものに求め、近くの山に入っては木、草、花、実などを楽しそうに持ち帰る。その姿を今でも覚えています。そこに四六時中くっついていたので、姉の感覚のようなものを自然に受け止めていたのかもしれませんな。その姉も39歳で他界。5人兄弟であったそうですが、結局私一人残りました。この自然は私ら小さな人間の生き様を飲み込んでくれてますわ」
だから、花を活けることは特別のことではない。花を活けることは日常なのだというのです。

「でも、これまでにどれだけ殺生しましたやろな。真っ直ぐな物も良い、曲がった物も良い。持ち帰って工夫して活けることが面白くなる。ただ放り込むような乱暴な活け方なのかもしれないが、骨董や自作の器に教えられ活けているというのが正直なところかもしれない」
と語ってくれました。そして、『活ける』ということの大切な要素として、福森さんは器を挙げています。福森さんの場合、それは特別な物ではなく、日々暮らしと共に呼吸する様々な道具や愛する物を器と見立て、使っているのだそうです。

「冬の時期、野山は静かになります。花もなく葉は落ちて、丸裸になったような木々の姿は寒々しい風景です。しかし死に絶えているのではありません。どんどん分け入ると、春のきっかけを待っている鼓動のようなものを感じます。目の当たりにする木々の姿を通して、精神的なものを見ているのだと思いました。その心象を活けたい。ですから心ひかれた草木を抱いてくれる器は、大切な存在です。時代物の骨董に活けると、何かが自分の体の中に入ってくるような感覚を受けます。その一方で、自作の器に活けた時には、その未熟さを教えられたこともありました。すべては器に教えられるのかもしれません」

このように語る福森さんは、構えて花を活けることはしません。気がつけば傍にある物を器とし、ただ花を活けるだけ。それだけのことだといいます。

その言葉を象徴するかのような場面に出会いました。床の間に、ヒサカキの木を大胆に縦割りした割れ木が、ざっくりと活けられていたのです。
「積もった雪の重みで木が割ける光景を見る事がある。その心象を映すように活けた。クジャクシダを添え、根本は自生した苔で覆っています」
花器に見立てられたのは、窯を焚いた時やきものを入れて使う匣(サヤ)という道具でした。また、サザンカの一枝が何気なく活けられていたこともありました。江戸時代初期の物と思われる、小ぶりの飾り棚の上に、野焼き茶碗(福森作)に活けたものでした。

見立ての花器として息を呑んだのは、古い花篭でした。奈良時代の物と思われる華籠(けこ)。仏事の時、散華に使う花を入れる仏具の一つです。その中へ、寒牡丹が一輪添えられました。ただ一輪であっても華やかで気高い寒牡丹。そのみずみずしい姿に感動せずにはいられませんでした。

福森さんは、これだと思う草木に出会うと四苦八苦しながらでも山に分け入って行くといいます。山々と対峙しながら、山野草木と共に、清々しく福森さんは生きているのです。(了)
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