Interview 結城美栄子さんの人形ワールド

結城 美栄子(ゆうき みえこ)
女優、陶人形作家。外交官の父について5歳の時から海外生活を送る。プリマを夢みたが足を痛めて断念。女優を志して昭和36年俳優養成所に入所、卒業後、渡米してステラ・アドラー演劇学校に学ぶ。昭和40から44年劇団『雲』で活躍。以後はテレビを中心に活動を続ける。陶人形作家としても知られ、昭和61年には初の個展。岩手県雫石町のレジャー施設『けんじワールド』、新宿『パークハイアット』に作品を展示。著書に人形の写真集「ビバ・サーカス」などがある。

結城さん写真
私の作品に出会った人がニコニコしてくれたらいいなぁと思うんです。
 舞台やテレビで活躍する女優の結城美栄子さんは、十数年前より人形作家として活動しています.そのきっかけとなったのは、当時、舞台の合間に紙粘土で作った共演者の姿でした。一緒の舞台に立っていた俳優の芦田伸介さんの姿を上手く取り込んだ人形を前に、多<の仲間たちが拍手を送ったのです。なによりも芦田さん自身が大変喜んで、人形作りを応接して<れたことが、結城さんは一番嬉しいことだったと言っています。人を喜ばせることができる、これは作り手にとって幸せなことでした。
「ただ、手の中の粘土をいじって人形にしたというのがそもそもでした。私は、特別に勉強したわけではありません。作りたいなと思うものをイメージして、手を動かしていると形になるんです」
 当時結城さんは、女優としてベテランという年齢こ入っていました。女優としての活動の中で、ある迷いがあったことも確かです。
「やりたいと思う芝居がない、演じたいと思う役がない。私という女優が固定化されてしまう。そんないくつもの難問が私の前に現れてきた時期に、人形作りと出会ったの」
作品1
 何かを変えたい。違う生きがいをつかみたい。その情熱が、結城さんの作る人形を通して表現されるようになりました。
 紙粘土から始まった人形作りは、やがて陶器という手法に変化します.土の粘土で人形を作り、窯の中で焼成されて生まれ変わる姿に、魅せられたのです。焼成を助けて<れたのは若い陶芸家たちでした。自由な発送と向かい合いながら、さまざまな試みを繰り返し、「結城美栄子の陶人形」は生まれました。
 それ以来、少しずつ作家活動を広げ作品を発表し続けていた中で、ある出会いを得ました.
 今では東京でももっともハイセンスなホテルとして有名な西新宿『ホテルパークハイアット』。その内装を手がけたのはアメリカ人のアートディレクター、ジョン・モフォード氏でした。ホテルを建設していた当時、“美術館のようなホテル”という彼のコンセプトにしたがってイメージを追い求めていたモフォード氏は、偶然にも本屋の店先にあった結城さんの作品の写真集を見つけたのです。そして、すぐさま結城さんに連絡をしました。彼は結城さんを一人の芸術家として認め、正面玄関に掲げられる大きな作品や、入り口のアプローチに飾られるほぼ等身大の人形などの制作を依頼してきたのです。結城さんにとって初めてのことです。興奮と不安が交錯する中で誕生した作品は、今、『ホテルパークハイアツト』の顔となっています。
「このホテルで私の作品に出会った人が、ニコニコして<れたらいいなあと思うんです」
作品2
作品3
 その後も確実に作品を発表し続けている結城さんは、今年大きな目標をもって展覧会をすることになりました。今冬開かれる展覧会は、『マスク2001(仮)』。2001個のマスク(面)を作り、さまざまな釉薬を使って焼成しようというものです。
「1日に7個マスクを作るノルマを自分に与え、毎日作り続けることを1つの目標にしました。そして、ただ焼成するだけでは面白くないので、何人かの陶芸家の力を借りて、それぞれの陶芸家が得意とする釉薬を使って表現しようという考えなんです。私の作品をどのように受け止めて彼らが表現するか、楽しいコラボレーションになりそうです」
 展覧会の予定は12月初旬。1日怠ければ・すぐにそのツケがまわってくる。作るということに立ち向かう原点に帰るようです。2001個のマスクの中に。
(2001 May)

取材・文 高橋伴子
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