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タスマニア島という小さな島をご存知だろうか。面積は、北海道の8割くらいである。そういえば、すでに過去になってしまったが「タスマニア物語」という映画もあった。あの映画の舞台となった場所である。しかし、その名前に覚えはあるものの、一体どの辺にある島なのかを知る人は少ないと思う。
地図を開くと、オーストラリア大陸の右下、東南に位置する場所にある。オーストラリア大陸とは、バス海峡を隔ててふんわり浮かんでいるような島で、注意深く見ないと、見落としてしまいそうである。タスマニア島は「両手を広げて小指と小指を添えるようにに合わせた形をしている」と、案内人であるマギーは教えてくれた。その形、私にはハートの形のように思えた。12月、南半球のその島へ、私たちはむかった。
当然のことであるが、北半球に位置する日本とは、気候が反対。真冬の東京から夏真っ只中のオーストラリアへの旅であった。特有の乾燥した熱さであろうという私の予想は、幸運にも的を外れた。タスマニア島は、日本の感覚でいえば、北海道のようなといえばよいだろうか。オーストラリアの本土と比べれば降雨量も多い。マギーの言葉をかりれば、「タスマニアの人間は、しっとりと情け深い」ということになるのだが、果たしてどうなのか…。とにかく私たちの旅は始まった。 |
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処女地タスマニアへの第一歩は、タスマニア州都ホバート(Hobart)だった。シドニー(Sydney)から国内線に乗り換えて到着したのであるが、マギーによると、メルボルン(Melbourne)から一晩かけて客船『スピリッツ オブ タスマニア』での船旅をしてから、タスマニア島に辿り着くのもお薦めだという。旅の味わいは、速さではない。マギーの言葉には一理ある。
この島は、17世紀にオランダ人によって発見され、19世紀初頭には、大英帝国がタスマニアを支配下とした。それまでこの島は、誇り高き原住民アボリジニたちが生活をする楽園であった。大英帝国の言い分はともあれ、先進国の人間たちが持ち込んだ病原菌によって、多くの先住民たちは、悲劇的な結末を生んだのである。インフルエンザさえ存在しなかった楽園。その病原菌の前にアボリジニたちは、ひとたまりもなかったことは、いうまでもない。時をかけずして、彼らは絶滅していったのである。
さて、ホバートは、タスマニアの玄関口とも言える港町である。その港にはたくさんの船やヨットが繋がれていた。見上げれば、なんて空が蒼いのだろう。空ってこんなにも蒼いものだったろうか…。取材など忘れて、呆然と見上げてしまった私を尻目にして、同行したカメラマンは夢中でシャッターをきっていた。マギーは、海の彼方を指さして「この海の向こうは、南極大陸よ」と、事も無げにつぶやいた。この言葉で、私は、タスマニアという島の位置をやっと確認できたのである。
「こんな処まできちゃった」それが本音である。世界中の南極探検隊にとって、このホバートは南極大陸に向かうための、最後の補給地であった。歴史的な建物も数多く残っていて、落ち着いた町というのが、私の印象であった。
翌日、マギーの案内で、サラマンカ・プレイスへ足をのばした。毎週土曜日に開かれる青空市を取材するためである。全長約400メートルの道の両側に、生鮮食料品から特産品や民芸品まで並んでいた。行きつ戻りつ歩いているうちに、私は面白いことに気がついた。この市には、実に様々な人種が混在しているのである。つまり、これだけ多くの国々からタスマニアへ、人々が移民している現実を、私はここで知った。 |
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ホバートの港
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タスマニア島特産の農産物。ヨーロッパ各地から入植しているので、生産技術も高く、チーズやワインなどは品質の良いものが揃っている。
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ホバートでであったクリスマスのパレード。市民のほとんどが参加する。中でも消防署員のパレードは、総力をあげてのものだという。「こんなとき、火事があったらどうするのかしら」とマギーは心配していた。
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※画像はクリックすると拡大します。
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私たちの計画は、ホバートから、タスマニア第二の都市ロンセストンへ。デボンポート、シェフィールド、クレイドル・マウンテンといった場所を取材する予定だった。ところで、タスマニア島内には、鉄道は走っていない。全行程、小型バスでの移動となった。移動の途中での宿泊は、植民地時代の建物を利用したコロニアル・アコモデーションとよばれる宿泊施設だった。これは、イギリスにあるB&Bと同じような施設である。それぞれ個性のあるホテルで、牧場を併設していたり、ワイン畑の中にあったりと、なんとも楽しい。リッチモンド郊外のホテルだったと思うが、爽やかな朝日を満喫しようと、窓をあけたとたん、面長のロミオに朝のあいさつを受けたことがあった。ロミオ、ここの主人のペット。3才になるオスの馬だった。以来私は、馬に見初められた東洋人として、そのホテルの伝説となっているはず!である。
ところで、タスマニア島を語る上で、避けて通れない歴史的な事実がある。あの、おしゃべりマギーでさえ、できれば解説したくない部分だといっていた。タスマニア島は、イギリスの植民地としてあったことは、すでに述べている。その植民地としての役割は、流刑地としての、究極地という存在であった。その島そのものが監獄。だから、この島へ送られてくる受刑者は、極刑の人物ばかりだった。彼らは、生涯過酷な労働を強いられた。その歴史を語る施設が、ホバートから100kmほど離れたポート・アーサーに残っている。開拓時代、囚人たちの労働力を使って、町が造られていった。タスマニアの開拓は、囚人たちの労力なくしてはありえなかったといえる。19世紀中頃には、2000人もの囚人が送り込まれていたといわれている。皮肉にも現在では、ポート・アーサーの施設がタスマニア最大の観光地になっているという。その観光客目当てというわけでもないだろうが、この施設では夜になるとゴーストツアーが行われている。「心霊写真もとれますよ」と、マギーは真顔でカメラマンにいっていた。 |
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ロンセストンの郵便局 開拓時代の建物をそのまま使っている
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ポートアーサー 囚人施設の建物。ゴーストツアーはお薦め
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タスマニアの旅は、小型バスに一切合財を乗せて移動するというキャラバン旅行であったが、目的地をポイントにして動き回る今までの旅とは違って、良くも悪くも様々なハプニングに出会うことになった。カタラクト渓谷では、突然現れた荒々しい絶壁に感嘆の声を上げ、ロンセストン近郊の農場では、一面紫色になったラベンダー畑の絶景を前に夢みる少女になりきっていた。時々見かけるワラビー(小型のカンガルー)に、愛想を振り撒くもののシカトされ、原野の中では、自然発火した野火に出会い、早々に逃げ出した。だが、今回、最高のハプニングは、ウールノースへの許可書がおりたことだった。
ウールノース。この地名を地図の上で捜すのはむずかしい。現地で手に入れた地図で、やっと発見できる場所である。ウールノースは、北西の先端の部分に位置し、広大な自然放牧地の先にあり、一握りの許可された住民しか生活していない場所である。この場所は、タスマニアに住む人たちさえわからないような、辺鄙な地域で、何よりも貴重な施設がある場所として大切に守られているため、許可書なしには訪れることができない。ここには、世界中で5ヶ所設置されている地球大気観測所があるのだ。地球を包み込む大切な大気。それがどのように変化し続けるのかを、黙々と影も形もない空気を相手に調べているのである。
許可書をパスポートにはさみ、ひたすら北へ向かった。指定の場所までは自分たちのバスで向かい、迎えの車に乗り換えて向かうことになった。この観測所の周辺地域の大気をより清浄なままにしておくために、ウールノースの住民たちが使う乗用車以外の車が入ることは許されてはいない。朝早い出発だったためか、原生林には、霧が立ち込めていた。その中を私たちを乗せた車だけがつっぱしる。このまま走り続けていけば、紺碧の空まで行ってしまうのではないだろうか。そんな錯覚にとらわれてしまう。何もないということが、あまりに美しく、私は言葉を失っていた。自然のままに開かれた放牧地の中をどれほど走ったろうか。岬の突先にへばりつくように建つ観測所が、視界に入った。ここまでくると、大きな立ち木はなく、周辺は、膝くらいまでのブッシュで覆われていた。
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クレイドル・マウンテンの標識
ウォーキングや乗馬などそれぞれ楽しむ人のために、ルート標識が設置されている。クレイドル・マウンテンとは、ゆりかごのような形をした山のことをいう。
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クレイドル・マウンテンのロッジに宿泊する場合、宿泊する人が自ら薪を割って暖炉に火をおこして暖をとらなければならない。できるだけ自然のままに、最低限の便利さの中で過ごすようになっている。
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車を下りて観測所の玄関へ向かおうとして、私はウールノースの風の洗礼を受けた。絶え間なく巻き込むように吹き続ける風。根性を据えて佇まないと、足をすくわれそうであった。そんな私の手をとって促してくれたのは、顎鬚のりっぱな所長ディビッドであった。玄関先で、礼をいいながら許可書を開くと「君たちは三日ぶりにやってきた人間だから、許可書なんかどうでもいいさ」というような大らかな返事。この観測所には5人の研究者が席を置き、観測を続けている。6ヶ月交代のシフトを組んで、ひたすら研究に没頭する日々なのである。ディビッドは、素人の我々を相手にどれだけ地球が汚染されているかを解説し、どれほど危機的状況かも教えてくれた。そして、所員手作りのビスケットと紅茶が運ばれ、「最も空気のきれいな場所で、日本人の女性とお茶を飲めるなんて最高だ」という社交辞令も忘れなかった。この場所に来た日本人の女性は、今までいなかったのである。
つけ加えるようにディビッドは語った。「ウールノースを訪れる幸運がこれからどれほどあるのか、君の未来を予言できないように、僕は言い切ることは出来ない。だから、今、ここに出会う幸運をあげよう。この素晴らしい風景を見ることが出来るのは、きっと数えるほどの人間だと思う」そういって、観測所の脇にある場所へ案内してくれた。そこは、岬の突端の垂直に切り込まれた絶壁に囲まれた入り江だった。静かな静かな光景である。波の音さえ聞こえない。強い風が私を翻弄するかのように、巻き上げてくる。「強い風に抗うことはない。体の力をぬいて、風に抱かれるようにすると倒れずに歩けるんだ」そう諭されながら、私はその入り江を覗き込むように立った。深く切り込んだ入り江と白い砂浜。そこには、何か大きなものが、打ち上げられたかのように横たわっていた。岩にしては白く、滑らかな曲線で覆われていた。望遠レンズを覗きながら静かにシャッターをきっていたカメラマンは、「骨だよ。」と独り言のようにつぶやいた。ディビッドの顔を思わず見上げた私に、「そうなんだ、孤独な鯨の終焉の場所なんだよ」と穏やかな口調で教えてくれた。
この入り江は、天国への入り口ともいえる清々しい場所である。鯨たちの神々しい死に場所を我々は汚してはならない。ディビッドの私たちへのメッセージであった。
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ウールノースには開拓時代に使われていた住居がそのまま残っている。部屋の内装もそのまま。古い生活道具が今も使われていた。
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ウールノースの牧草地
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※画像はクリックすると拡大します。
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あっという間の時間だった。世界中で最も清らかな空気をここぞとばかり吸い込んで、この場所を離れようとしたとき、我がカメラマンがディビッドに歩み寄り嘆願した。彼は顎鬚をなでながら苦笑し、「一本だけだぞ」と念をおした。機材をマギーと私に預けると、セブンスターを取り出し火をつけたのである。仁王立ちになり、左手を腰にあてて、思いっきり煙草を吸った。まさに極上の一服を体験したのである。が、しかし、その日の大気観測の汚染データがどのようであったのか……心配であった。その後、帰国の日までおしゃべりマギーの格好の話のネタになったことはいうまでもない。タスマニアへ行くことがあったならば、あなたなりの「今、ここで出会う幸運」な風景を捜すことをお薦めしたい。 |
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