取材・撮影・文 高橋伴子
本州の最北端である現在の青森県には、女たちが伝えた素晴らしい手仕事があった。厳しい気候風土の中、藩政の統制の中で、許される限りの材料を使い、家族のために一身に縫い続けた刺し子である。
厳しい自然は、北東北地方においては宿命である。江戸時代、藩は厳しい統制を民衆にしいた。絹織物などに袖を通せる者は、一握りの特権階級と金の力でのしあがった豪商くらいなものである。絹の反物が許されないのは周知のこととして、権力下にあった一般的な民衆はどうであったのだろうか。
普通に考えれば、「絹がだめなら木綿だろう」と当然のように思っていた。だが自然はそれを許さなかったのだ。寒冷な土地であるために、この地方に綿花は育たなかった。綿花の育つ北限は、せいぜい福島県あたりだという。絶望的な状況である。今更ながら私はその事実を知り、奥歯を噛み締めるような思いがあった。
青森には『泣いてあやぐる(奪い合う)形見分け』という言葉があるという。これは青森だけにはとどまらないことであるが、親が亡くなると親類縁者の女たちが集まり、遺された衣類、麻布、一片の木綿糸を泣きながら取り合うというのだ。今では想像もできないことだろう。衣類がままならない時代の悲しい言葉である。女たちは布に命のあることを知っていた。命を惜しみ、布をいたわり刺して綴ったのである。
「一体彼らは何を身につければよいのだ」と、今から思えば怒りさえ感じた。さらに、その当時藩は、藩内需要の木綿の移入を制限した。農民に木綿の着用を禁じたのである。重労働の明け暮れの中で生き抜くための知恵の一つが刺し子であった。
麻を植え、その繊維から麻糸を採り、よって糸にして布を織った。粗い目の麻布の着物に、南の地方から運ばれる木綿古着や襤褸布(ぼっと)を重ねて裏に当てた。少しでも寒さを凌げるように、丈夫であるようにと麻の目を丹精に縫い埋めていった。
こうしてこの地方の長い冬は、やがて女の手技を育て上げた。保温、補強のためであった刺し子着は装飾としても完成され、津軽のこぎん刺し、南部菱刺しなどといった見事な工芸になったのである。現在骨董の世界においても、刺し子の人気は高く、全国から問い合わせがあると骨董店の主人は語っていた。青森を訪れた時、私はその刺し子に出合った。
青森市歴史民俗展示館「稽古館」は、江戸時代末期から昭和期にかけての刺し子着1000点あまりを所蔵している。これらは、青森県有形民俗文化財に指定された貴重な労働着ばかりだ。歴史的にも民俗学的にも豊富な資料を揃える「稽古館」は、刺し子の全容を知るための最適な場所である。
展示されている様々な刺し子着を前に、息を飲む思いだった。その他にも、パッチワークのように布が綴られた仕事着もあった。ままならない環境の中で、僅かな木綿の襤褸裂を集めて縫い合わせた仕事着の姿を前に、これほどまでに布が活用されたのかという思いが胸をついた。どんな端切れであろうと、木綿布は貴重だったのだ。それを刺し続けたこぎんや菱刺しを生み出したのは、重労働を強いられた女たちである。
こぎんは、藩政時代、津軽地方の農民の仕事着であり普段着であった。いつ頃からあったのか判明はしないが、藩日記の文献には、17世紀後期に、初めて「古布こぎん」の文字をみるというので、すでに元禄時代にはその姿があったと見て良いだろう。こぎんは地域によって刺し綴られた図案が異なり、その呼び名も違っている。津軽の西こぎん(岩木川流域の西側)、東こぎん(東側)、三縞こぎん(川下地域)、南部菱刺し(太平洋側八戸周辺)、そして、平刺しだけのつづれ刺しと変化の富んだ刺し子着が揃っている。
稽古館へ行って初めて知ったことだが、模様、作業着の作り方において津軽地方と南部地方とでは随分その姿が違っている。津軽地方は米作の地域。水田での作業が主であるために、腰丈くらいの上着だけの仕事着である。その一方で南部地方は畑作が中心。そのために仕事着は上着とたっつけ(股引)だった。刺し子される模様も津軽地方のものに比べて南部は算盤の玉のような横長の菱形をしている。
津軽こぎんが岩木川の流域によって、個性的なこぎん刺しを生み出している中で、西こぎんの緻密さは圧巻であった。材質は苧麻(からむし)。実に細い繊維を使って織られた麻布であるため、そこに施される模様も自ずと細かい。ぎっちりと綴られた模様を見ると、刺し手はさぞや器用な針使いをしていたのであろうと感慨深かい。
幼い頃から針と糸を持ち、見よう見まねでこぎん刺しを覚えた娘たちは、寝る時も麻布と木綿糸を枕元に置いて寝たという。遊びながら友だちと競い合いながら腕前を上げ、ただ刺すというのではなく、良い柄を刺す事に励んだと伝えられている。西こぎんの様式の特徴として魔よけの轡(くつわ)つなぎ「さかさこぶ」が肩の部分に刺し子されている。
現在の弘前市から見て、東方(黒石、平賀地方)で刺された物が東こぎん。麻糸も太めで、布地も粗く、大胆な模様が一面に刺され、大柄に完成しているのが特徴といえる。稽古館で感動しながら、こぎん刺しを、実際に手に触れてみたいと強く思った。行く先は弘前。果たして出会えるだろうか。
弘前市内にある多賀谷古美術店に立ち寄る。小さな店構えであったが、専門とする書画関係の作品が所狭しと並べられていた。主人が見せてくれた物は、たっぷり藍を吸い込んだ仕事着であった。「稽古館」で教えてもらった平刺しである。
「これは津軽の平刺し子。着物にしている生地は、藍絞り。そこに運針するように刺し子が施されている。不思議なことに刺し子するとで、下地の藍絞りの模様が浮き出てくる」とご主人に教えられた。
この野良着を田圃の中に掲げてみた。太陽と風を受けて実に美しかった。
次には、布専門の骨董店として有名な八戸の「でがい」を訪ねた。古布の研究者やコレクターあるいは一般の布好きの人たちまでにこの店の名は浸透していて、全国から問い合わせがあるという。数年前まで酒屋を営んでいたという店内は、骨董屋というよりは、まだ酒屋さんという風情である。ここでは、東こぎんの逸品に出逢うことができた。
これらの刺し子に触れた嬉しさもあったが、その頑ななまでの緻密さと丹念な技術による完成度は驚くべきものであった、世界に誇れる至芸ともいうべき刺し子着の芸術性を私は確信した。この地方では刺し子のうまい嫁をもらえと言われたそうである。女たちは働き手である夫のため、舅のために夜なべして刺し子仕事をした。働いて働いて女たちは力強く生き抜いたのである。その証をぜひ見て欲しいと思う。
津軽こぎんと南部菱刺しの分布
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