取材・撮影・文 高橋伴子
上海空港に到着したのは、昼近くだった。実は上海へきたのは10数年ぶり。変貌し続けている街並みに、しばらくたじろいだ。上海は爆発するように、細胞分裂を繰り返し新しい姿になっている。ともあれバスへ乗ることにした。

これまで杭州へ行くには、高速道路を使って車で移動するか、あるいは特急電車で移動するかのどちらかだった。2004年3月下旬から、日本からの航空路線が拡大され、成田、大阪から連日運行されるようになるという。正直、杭州という場所がそれほど知られた場所であるとは思えない。にもかかわらず、日本へのアプローチがこれほど積極的なのには訳があった。

東芝以下、日本の大企業がこの地に基盤を置いたことにより、一気に運輸における需要が伸びたのだという。エアラインのカーゴの部門が右肩上がりの現実をみて、同時に観光客を運ぼうじゃないかというのが、航空会社の腹積もりなのであろう。胸算用はともかくとして、楽園杭州を体感しようと旅立った。

杭州はとにかく美辞麗句の連なる町である。一言で言えば、絹産業と西湖の町であり、13世紀のイタリアの旅行家マルコポーロが絶賛した地上の楽園である。とにかく元気な内に極楽を見られるのだから、躊躇することはないだろう。

上海から車で、およそ3時間くらいだったろうか。車窓からは、懐かしい風景が広がっていた。田舎育ちの私の遠い記憶を呼び覚ますような光景である。畑の畦道、灌漑用の池。朽ちて壊れそうな藁葺きの家。のんびり大地を耕している農夫。そんな風景画の中に、異様な家が点在していた。

コンクリート造りの頑丈な3階建ての家。天辺には、イスラム教のようなといえばよいか、それともロシアのクレムリンの屋根といえばよいか、つまり、あんなような屋根が取ってつけてあるのだ。ガイドの方にきけば、今流行のデザインなのだそうだ。経済発展の波は、着実に自然に生きる人々を侵食していた。ノスタルジーに浸って、古ぼけたままが良いといのではない。

「何とかもっと自然に変化できないものかしら」とつぶやけば、同行した仕事仲間が答えた。
「日本だって訳の分からない西洋建築があるでしょ。日本だってこの道を歩いてきたんですよ。丁度、高度成長期の日本と良く似ていますよ」と冷ややかに言う。
ならば、伝えたいと思った。あなた方が辿る道は、けっして正しい道とはいえないと。突っ走って、地上の楽園についた。が、そこはケンタッキーもマクドナルドもある都会だった。
六和塔(りくわとう)
市街地の南方に流れる銭とう江を一望するように立つ高さ90mの塔。毎年、旧暦8月の満潮時に、海水が高潮に乗じ逆流。高波となって押し寄せ大氾濫を起こし人々を巻きこんだことから、970年に呉越王が氾濫を鎮めるため慰霊塔として建立した。高さ約60m、八角七層の巨大な塔だが外からは十三層にみえる。最上階までのぼると、江南の風景が一望できる。銭江観潮とよばれ現在でも逆流をみることができる。
宋城(そうじょう)
名所旧跡の観光の他に人気を博しているのが、テーマパーク宋城。南宋時代を蘇らせる宋劇大劇場で行なわれる宋劇の歌舞、エンターテーメント・ミュージカルは見逃せない。淀みなく動く舞台に、観客は釘付けである。終幕後は出演者と写真撮影ができる。
杭州は、浙江省の省都である。政治、経済、文化の中心であることはいうまでもない。何といっても特筆すべきは、悠久の歴史にその名を残す街であるということである。

亜熱帯季節風気候で、四季のはっきりした温暖な自然は、紀元前、中華民族文明の発祥を促した。河姆渡(へむどう)遺跡からは、6000年〜7000年前の河姆渡人の生活模様が発見され世界から注目されているという。出土品の数々は、浙江博物館で見ることができる。すでに秦の時代には、この地に県が設けられ重要な位置にあったことが伺える。

以来、2200年余り。秀麗なその自然とともに、歴史を刻んでいるのだ。何といってもそのヒロインは西湖であるといえよう。
街は二つの視点を持つ。西湖とその東に広がる繁華街だ。西湖の西側湖畔から眺めると、にょきにょきと高層ビル群が視野に入ってくる。近代と悠久の時間が同居しているような風景だ。

杭州といえば西湖といわれるほど、杭州を語るには欠かせない存在である。西湖は、絶世の美女、西施にたとえられてこの名がついた。たとえた人は蘇東波(そ とうば)。北宋の詩人蘇東波はこの湖を愛し、その詩の中で古代中国、春秋時代に呉王夫差に溺愛された美女、伝説的な存在であった西施にたとえて「西子湖」と詠んだ。ここから西湖とよばれるようになったという。
『陽光が湖面に照り輝く朝の光景の見事さよ。だがそれにも増して、山々が雨靄に霞む夕暮れの景色の美しさはひとしおである』
と、その詩に残している。この通りの景観を今も見ることが出来きた。

早朝、湖畔を散歩した。シャングリラホテルに宿泊していたので、湖畔まではほんの数分。蘇堤へ向かって散策することにした。

蘇堤は、北宋時代蘇東波が杭州の知事であった時、20万人の人々を使って築いた堤である。西湖の西に位置し、6つの橋で結ばれている長い堤だ。蘭や桜、芙蓉が植えられ、柳の並木がなんとも美しい。
春の暁に柳に鶯のなく光景が最高とされる。早朝、湖上から靄が立ち込めていた。靄に包まれて朝陽が昇る。近隣の人々は様々に朝模様を織りなしていた。ある人は太極拳に励み、ある人は手を取り合って散歩をしている。そして、ある人は黙々と地面に文字を書いていた。竹の棒の先に太い筆をくくり付け、水をたっぷり含ませて漢詩を書いていた。

「天に極楽があるように、地に蘇州と杭州がある」と讃えられる意味を私は理解した。日の出とともに、湖には舟が集まってくる。湖上の観光のための小さな舟である。二人乗り位の笹の葉型の舟が、ゆらりゆらり揺れながら湖を渡る光景は、夢をみているようなシーンであった。西湖には、もう一箇所人工の堤がある。北側に位置し、約1kmの土提である。これは、唐の時代の詩人として知られる白居易が、杭州の地方官として赴任していた時に、築いたものである。

白提の入り口にあるアーチ型の断橋は、中国の美しい伝説『白蛇伝』の舞台になった所だ。白素貞と許仙が巡りあった場所である。ここは、西湖十景の一つ「断橋残雪」とよばれる場所である。冬、降り積もった雪が橋の中央から溶け始めるので、遠めで見るとまるで橋が途切れているように見えるためこの名がついたという。
西湖十景には、以下のような場所が詠われている。

平湖秋月(白堤西側、湖に突き出た展望台。湖面と同じ高さに造られたので平湖という。中秋の名月が湖面に映る風景は、最高に美しいと詩によばれた場所)

三潭印月(湖底の泥を積み上げて造られた島。島内には4つの池があり、九曲橋が結んでいる。南側に石塔があり、中秋の名月には灯がともされる)

双峰挿雲(南高峰と北高峰、2つの山を双峰という。霊韻路沿いにある洪春橋から眺めた景色をさす。霧が立ち込めると山水画のように美しい)

曲院風荷(かつて宮廷で用いられた酒を造る院があり、その庭に蓮が植えられた。夏花が咲くと、花の香りが漂い、人々の足を止めるという)

蘇堤春暁(春の暁に柳に鶯のなく光景が美しいとされる)

花港観魚(蘇堤の南端の公園。楼閣や亭、回廊がある。500種の牡丹が開花する牡丹園と鯉が回遊する紅魚池は必見。かつてここから水が流れ込んでいた)

南屏晩鐘(湖の南に位置する南屏山の麓、浄慈寺のある丘からの叙情的な夕景をいうもの。寺の鐘の音が遠き響きわたり、夕暮れの光景と共鳴する)

雷峰夕照(雷峰山の頂上に建てられた塔と夕陽が重なると、輝くような光景になる。その見事さをいったもの。現在の塔は2002年に再建されたもの)

柳浪聞鶯(湖の東側にある公園。湖畔の岸辺にそって柳が続く。その枝で鶯がさえずる声の美しさをいったもの。園内の茶館で龍井茶を楽しむのもよい)

周囲15kmの広大な湖を徒歩で1周するのは不可能だろう。幸いにも近年観光客用に湖畔整備がなされ、湖畔の2コースを電気自動車が走っていた。要所要所を訪ねてくれるので、のんびりと楽しむことができるのでお薦めである。レンタサイクルもあると聞き、翌日はサクリングとなった。
西湖
西湖十景と特別語らなくとも、ありふれた西湖の風景はすべて美しい。明るくなってきたら早速散歩に出ることをお薦めしたい。一期一会の心に残る風景にであえる。
霊隠寺(れいいんじ)
中国禅宗十大古刹に並ぶ大僧院
西湖から西へほどの山中に位置する。326年インドの高僧慧理(けいり)が開山。最盛期の10世紀には、およそ3000人の僧が起居し修行していた。慧理の「ここには仙霊が隠れている」とう言葉から寺の名がついたとされる。寺内には、中国最大の木彫り釈迦弁尼坐像が安置されている。対岸の飛来峰には岩壁に摩崖仏が数多く刻まれている。
西湖散策に疲れ、のどの渇きを覚えた。湖畔にある茶館が良いと教えられ、捜して入ろうということになった。捜す必要もなく、茶館は乱立している。日本で流行している、カフェといったところだ。

そのうちの一軒に入る。選ぶお茶にもよるがだいたい50元位(約650円)。次にお姐さんがトレーを渡してくれるので、それをしっかり持って中央のテーブルへ。バイキングスタイルである。数十種類の点心やらフルーツ、ナッツ、軽食などが並ぶ。料理がなくなると再び新しい食べ物が揃う。一日中お茶を飲み、食べ物をつまんでいてもよいのだ。今流行の茶館は、やはりここでも女性たちが中心。とにかく喋って喋って、お茶を飲み、食べる。大いに満喫し、何処の国でも女が支えているのだなとつくづく感じた。

杭州では、良質の緑茶がとれる。数あるお茶の中で有名なのが、龍井茶(ろんじんちゃ)だろう。杭州市近郊、西湖から西南に位置する龍井地方では、元の時代から緑茶を栽培している。龍井とは、この地方にある和泉の名前。干ばつに見舞われてでも、この泉だけは枯れなかったことから、泉には龍が住み海まで通じているという伝説に由来している。

緑茶を代表する龍井茶は、千年以上の歴史をもち、皇帝以外は飲むことを禁じられた高級茶である。雀の舌のような形の茶葉、翡翠のような緑色、馥郁たる香り、口当たりの良さなど、四つの特徴を持つことから「四絶」と讃えられている。

名泉の多い杭州であるから、最高のお茶と最良の水とが出会い、杭州でこそ中国茶の真髄を味わうことが出来るのだと思う。土産に茶葉を買ったことはいうまでもない。

杭州を語るべきものが様々あって、限りがない。程よく都会で程よく古き街であることが、私の歩調とあってうれしかった。ただ、杭州は発展し続けるだろう。古くてきたないものよりも、派手やかでピカピカして、背の高いものがきっと街に氾濫するに違いない。それでも、街の西と東のバランスが上手に保っていくように願いたい。(了)
老街。
宋時代の街並みを保存して観光用に整備した地区。夜になると点心を売る店やお菓子雑貨を並べる屋台などが出ている。一画では、覗きからくりに興じる人たちも集う、何ともノスタルジックな通りである
龍井茶畑
日本の茶畑を彷彿とさせる風景だ。茶摘の季節には千里四方にその香りが漂ったとまで言われている。高品質のものは、やはり高価だ。
ソニア御用達の
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「極上のいっぷく」
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後編
「我、ヴェトナムに遭難せり」
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食の旅
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杭州をゆく前編
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